Manoel Protazio de Abreu

 
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基本情報

農園名

Sítio Pedra Menina  ペドラ ・メニーナ農園

生産者 Manoel Protázio de Abreu マノエル・プロタージオ・デ・アブレウ氏
生産地

エスピリット・サント州 ドーレス・ド・リオ・プレット市 ペドラ・メニーナ集落

カパラオ地域  

標高 900〜1,100m
農園面積

総面積:10.4ヘクタール       コーヒー栽培:9.4ヘクタール

精製方法

Pulped Natural

ロット数

6Bags/60kg (20kg×18袋)

品種

Catuai Amareloカツアイ アマレーロ(当ロット)

 
 
メタル20kg袋
 

 

 

マノエル・プロタージオ・デ・アブレウは、エスピリット・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に位置するフォルキーリャア・ド・リオの集落に古くからある五家族の内の一家族である。彼の父方の祖父は、ポルトガル人でマノエルといい、彼と同じ名前であった。

マノエル・サルバドール・プロタージオ・デ・アブレウ祖父さんは1900年生まれで、若い時、ポルトガルからリオ・デ・ジャネイロ州のカンタガーロに着き、ブラジルにやって来た。自分自身で所有できる自由な土地を求めエスピリット・サント州を目指し、カンタガーロを発ち長い旅についた。今日プロタージオ家が定住する所有地があり、現地生れのマリア祖母さんと知り合い結婚することになるフォルキーリャア・ド・リオの集落で、彼の旅を終えた。何年か後、彼の両親は、マノエル本人と同様にフォルキーリャア・ド・リオで生まれ、そして育った。

一族のコーヒー栽培は、ほぼ一世紀に及ぶ。1925年頃、マノエルの祖父母は、森林を斧で切り拓き、そこでコーヒーの栽培を始めた。その当時の農場の事情は異なっており、コーヒーであれ全ては自家使用のために植付けられていた。外界とは非情に孤立して生活しており、その村落以外への商品の売り買いは難しかった。当時その場所には電気もなく、唯一農場の外で求めたものは、塩と軽油であった。彼の祖父は、彼らが住んでいた所から牛車で一日がかりの場所にあった鉄道の駅へ、それらの商品を手に入れるために行っていたとマノエルは語る。

 

 

 

 

 

マノエルはコーヒー栽培の後を継いだ、なぜなら牛を育てる為の広大な土地がなかったし、彼が言うように僅かなコーヒー樹でも充分に生計をたてられるからである。“穀物や蔬菜栽培” は販売価格が安かったし、貯蔵も出来ず、多くの農薬の散布を必要とするので、よい選択儀ではなかった。彼がコーヒー栽培を始めた後、サルネイ大統領政権の間は、彼は大きな障害に直面したと言う。彼は農場を購入し、僅かながらの借金をしていた。あの当時、コーヒーは大きく値を下げ、払いきれない程の高金利で、彼は農場を手放すことになった。彼は人生をやり直すことになった。でも、今考えればその大変さを経験したおかげで、今持っているもの大切さを感じる。

マノエルはクオリティー・コーヒー生産に開眼したのは、2006年、インカペル(エスピリット・サント農村開発技術援助調査協会)の2人の技師が、一台のコーヒーの皮剥き機をフォルキーリア・ド・リオの集落のために手に入れてくれた時である。そのコーヒーの皮むき作業は、熟した豆と、未成熟豆(低級のコーヒー豆)や青味を分け、コーヒーの特徴的な味と香りを与える丁度よい成熟状態の豆のみにするので、品質を向上させる。その後、エマテール(農村開発技術援助団体)の技師が、マノエルのコーヒーを地域に品評会に出品したところ、思いもよらぬ二位を獲得し、彼のコーヒーに対する品質への探求心に火をつけた。

マノエルは、コーヒーの取扱い方法を変え、そして今日では同地域での従来の方法とは大きく異なっている。人手は家族でまかない、足りている。なぜなら彼の息子達のファビオ、カカ、ガブリエルは、収穫に参加し、嫁達は皮むきや乾燥といった収穫後の作業に携わっているからである。それは【=家族の労働は】豆の品質を保つ為の重要な作業も何らの支障なくこなし、非常に助かっている。 

  

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収穫は、土で豆の味を汚さない様に、大きな布【もしくはビニールシート】の上に豆を落としながら行われる。同一の時期に全ての豆が熟す耕地では摘取機で収穫されるが、バラバラに豆が熟す場所では、収穫を分けて行う。つまり、より熟した豆を注意深く選びながら、一粒ずつ摘み取る。 収穫の適期になるまで青味は畑に残しておく。

収穫後、豆は皮剥き機に通し、発酵や汚れの原因となる雨に豆が打たれないよう、雨除けの覆いの下で乾燥される。また豆は、それぞれのマイクロ・ロット毎の香りと味の特徴を確認し、収穫日や耕地内の圃場の違いにより、別々の袋に分けられる。

以前はコーヒーの畝間の下草を根っこから除草していたが、今日では地中の肥料や養分が流亡しない様に下草を刈り取るのみである。施肥もまたコーヒー園が最適な栄養状態になるように、年に一度の土壌分析に従い行われている。

マノエルは環境へも気を配る。なぜなら、既に彼の父親の代に息子たちへ農場が分け与えられた時、水の配分が減り始めたからと言う。そのため20年以上前から、所有地内の水源や川辺の植生の保全を始めた。彼が頻繁に通う教会の説法により、彼はまた除草剤の使用を多くても1年に1回程度に減らした。

 

 

一家は、各種の自己啓発の為の講習会に参加しながら、学び、そして理論と好奇心を実践に活かし、技師の手助けを受けながらコーヒーの改善を続けている。既に何年か間、彼らは地域や州の品評会で賞をもらっている

 

品評会

方式

順位

2010

マッタス・デ・ミナス地域−ムリアエ

水洗式

2011

マッタス・デ・ミナス地域−ムリアエ

水洗式

2012

エスピリット・サント州

水洗式

8

2013

マッタス・デ・ミナス地域−ムリアエ

ナチュラル

13

マッタス・デ・ミナス地域

水洗式

2014

マッタス・デ・ミナス地域

水洗式

2

 

 

味覚特長

 

 

 

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マノエルが幼い頃は、就学する子供は僅かであった。近くに学校は無かったし、勉強するよりも仕事を手伝うことが、より重要であった。彼自身、小学校3年生まで学び、小さい時から学校の休憩時間には、玉ねぎの草むしりをしなければならなかった。

マノエルは畑が大好きだった。町は決して好きになれなかったし、10歳のころから小さな土地を買うことを夢見ていた。しかし彼の父親はそれを望まなかった。なぜなら父親は彼がそばにいて欲しかったからである。マノエルは土地を買うことができたが、彼は常に父親のそばにいた。また彼は同集落の中で初めて車や発電機を所有したし、ある時は【衛星放送の】パラボラアンテナを買うのに、17頭お雄牛を費やしたと彼と語る。彼は、家族のために徐々に僅かながらの快適な生活を手に入れた。彼が言うには、その機会を与えてくれたのはコーヒーであると彼は言う。息子達の幸せや快適な生活を通じ、私は自分の夢は叶えた。

将来的に若者達は今より生産量を減らすだろうが、クオリティのあるコーヒーを作るであろうし、それは生産者の仕事の面でも、コーヒー消費者に対しても大事な事であると彼は信じている。

また彼が、より良い世界を知ったのも、スペシャルティ・コーヒーを通じてであった。なぜなら品評会やイベントを廻りながら、様々な人々と出会ったし、外国人までもがコーヒーが縁で、その地域にやって来た。人生に於ける挑戦は、今日ある人生の価値を高める。彼の仕事の価値を高めることを教えてくれたのはスペシャルティ・コーヒーであった:昔は、働かなければならないから働いていた。そして良いコーヒーを提供することを今日知り、消費する人によって価値を高め、私が行うことに対して評価を与えてくれると彼は話しを締めくくる。

 
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※クリックすると拡大写真がご覧いただけます
 プロタージオ家は3つの所有地を持っている:

 

①農場概要

農場名称: フォルキーリア・ド・リオ・ド・エスピリット・サント

市: ドーレス・ド・リオ・プレット

州: エスピリット・サント

所在地:フォルキーリア・ド・リオ集落

標高: 1,200メートル前後

総面積: 9.4 ヘクタール       コーヒー面積:6ヘクタール

コーヒー品種:カツイア・ベルメーリョおよびカパラオ・アマレーロ

 

②農場概要

農場名称: フォルキーリア・ド・リオ・デ・ミナス

: エスペイラ・フェリス

: ミナス・ジェライス

所在地: フォルキーリア・ド・リオ集落

標高: 1,200から1,340メートル

総面積:10ヘクタール      コーヒー面積:9ヘクタール

コーヒー品種: カツイア・ベルメーリョ

 

③農場概要

農場名称:ペドラ・メニーナ農園

市:ドーレス・ド・リオ・プレット

州:エスピリット・サント

所在地: ペドラ・メニーナ

標高: 900から1,100メートル

総面積:10.4ヘクタール       コーヒー面積:9.4ヘクタール

コーヒー品種: カツイア・ベルメーリョ

 

 


 

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