Eduardo Pinheiro Campos(エドアルド・ピネイロ・ド・カンポス氏)

ある家族のコーヒー栽培、一世紀の歴史

この物語は19世紀末より始まる。当時のブラジルは王政より共和政への転換期であった。 農業生産は続けて盛んであったが、奴隷制度が弱体化しつつあった。 この様な環境下でミナス州の首都ベロ・オリゾンテより160キロ離れた寒村サン・フランシスコ・デ・パウラ市でマリオ・シルヴァ・カンポスは1873年11月3日誕生、その地で農場を始めたカンポス一家は結束して営農に励んでいた。 この時期ミナス州では既にコーヒーを海外に輸出していた。
 1888年奴隷解放宣言が行われ、奴隷達はその日から、一般の労働者となって働くようになった。 この時期のマリオ・シルヴァ・カンポスの農園は、奴隷を必要としない、家族経営できる規模であった。 夫人マリア・ジョゼ・カンブライア・デ・カンポスとの間に儲けたフランシスコ・カンブライア・デ・カンポス(2代目)は幼少の頃より農場で働き、農場経営の基礎を体験していた。
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時は流れマリオ一家も大きくなり、1946年5月20日には息子フランシスコと嫁マリアの間に孫に当たるエドアルド・ピネイロ・ド・カンポス(3代目)が誕生した。 この子も農場で育ちコーヒー栽培、牧畜などを経験した。 エドアルドは15歳頃になりこの地での生活が飽き足らず首都ベロ・オリゾンテに出て勉学に励み、父と同様に建築学を学び、建築技師となる。やがて、技師としての名声が出ると共に兄弟のレージスと二人で建築会社(EMCCAMP社)を設立した。
 エドアルドはダウヴァ・マリア・デ・ソウザ・リーマ・カンポスと結婚、エドアルド・ピニェイロ・カンポス・フィーリョ、アンドレ・デ・ソウザ・リマ・カンポス、の2子を得る。後に、この子供達も建築技師となり、彼の父の肝いりEMCCAM社に入り、家族で運営を続けている。
 
 

3代目エドアルド

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 エドアルド(3代目)は父フランシスコ(2代目)よりの遺産としてプレジデンテ・オレガーリオの大農場を得た。農場をドナ・ネネンと命名した。彼の母の渾名であった。建築技師であった彼も1977年よりコーヒー栽培にも関わるようになった。 そして、パット・デ・ミナス市の最初のコーヒー栽培者となった。 その頃パトロシーニョとアラグアリでは彼の友人達がコーヒー栽培と牧畜の準備を始めるべく取りかかっていた。
 サン・ジョン・グランデ農場は600ヘクタールの面積を持ち、その内の375へクタールがコーヒー栽培に使用されている。ドナ・ネネン農場は800ヘクタールの内コーヒー栽培が230ヘクタール、と一部を牧場に使用している。 ボア・ソルテ農場は総面積1.900ヘクタールの大農場であり、2.500頭の肉牛ゼブー・ネロリ種を肥育している。ゼブ−種は20世紀初期にインドより輸入された種類である。 今日ブラジルは世界1の牛肉輸出国であり、輸出される肉の多くがゼブー種であり、その趣向は世界中で好まれている。
 3農場ではコーヒー栽培と牧場経営を行っているが、ここに携わるすべての従業員家族の食生活も自給自足体制が取られている。

 自然環境保護についても常に注意を払い、農業生産に必要な土地以外は極力手を付けず、自然に還すべく心掛けている。 農場内の自然環境の再生にも心掛け、耕地内の植生に応じた樹木の再生を続けている。 河川についても同様な注意を払い、水質の良好な維持、河川の両側の植生の維持等である。自然環境を保護する事により、農業生産にも好結果がもたらされている。 たとえば作物への病害虫の駆除、家畜の好環境下での成育率の上昇等である。 全てがこの様に規則正しく行われているこの農場では、コーヒー栽培についても同様に規則正しい工程を維持している。 収穫から製品になるまでの過程に於いて、常に清潔をモットーとして作業が行われている。 これに従事する3農場の従業員達に対しても同様に、国の労働法を厳守し、労働者に与えられた権利と義務を明示し労働者達が安心して仕事ができる体制が作られている。この様な事から3農場の経営方針が国際的自然環境保護団体、UTZ KapehとRain Forestから認証されている。

 
 

収穫のタイミングは品質に大きな影響があり非常に重要

コーヒー栽培についての彼の持論は、収穫時期の決定である。 収穫は1回目は豆の熟度に応じた重さを調整した機械により収穫され、2回目も残された豆の熟度を調べて同様に機械で収穫する。 3回目は人力により残った豆の収穫に当たる。 コーヒー樹の更新に付いても、毎年栽培面積内の樹の10パーセントを更新するように心掛けている。ここセラード地域は産地でも比較的気温が高いため、この様なコントロールが必要であると考えている。 その為、農場内には常にコーヒー苗用のハウスが用意されている。 この様な作業があって、収穫量の増収と良品質の製品が得られるのである。
 農場での製品はIllyのコンクールで全国3位入賞を果たしている。 良い製品のコーヒーは、長年の経験ときめの細かい作業が必要である。 150年を経てきたこの農場でも、その世代々に応じた新しい栽培技術を取り入れて来た結果である。 最近では2008年〜2010の3年間で60.000袋の収穫を得ている。
 この農場で生産されたコーヒーがイタリア、日本、イスラエル、その他の外国に輸出されている事はとても嬉しく思っている。(2011年08月)
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